親父の酒


ぼくの父は、飲んべえで毎晩、焼酎やどぶろくを飲んでいました。
昔は、お酒の計り売りがありました。
ぼくはいつも、親父が仕事から帰ると、酒屋へ一升瓶を持って、酒
を買わされる役です。
家は貧乏のくせに、酒だけは欠かせません。いつも酒代が溜まるの
で、店の親父に、ブツブツ言われながら買ってました。
「お父ちゃん、酒屋のおっちゃんが、酒代がぎょうさん溜まってる
とゆうてたで」
とぼくが言うと、
「そうかよしよし」
あんまり真剣に聞いてないみたいでした。
酔うといい気持ちになって、ぼくらこどもをずらっと並ばせ、沖縄
の三線を弾きながら、民謡を歌いました。
こどもながらうまいなあと思いました。
そして決まって、親父の自慢ばなしが始まります。
「わしが歌い出すとな、警官がとんでくるんや」
「なんでエ」
「交通マヒがおこるから、歌うなというんや」
「なんでエ」
「わしの歌を聴こうと、家の窓の周りに、人だかりがして、牛や車
車が通れないというんや」
「ウッソやー」
わが家にはこんなだんらんがありました。
いま思うと親父のお酒はいい酒だったなあと思います。

長じて、ぼく自身。
ぼくは親父と違って、酒はダメでした。
ビールをチビリとなめる程度でした。
バーで女の子から「お茶飲んでるんじゃないわよ」とよく叱られま
した。
アルコールなんてウマイと思いませんでした。
飲めるようになったのは、心臓を手術した三十代アトのことです。

いまではビール、ウイスキー、ワイン、日本酒なんでもなんでもコ
イです。
ただし、酒量はそんなに多くありません。
あるところまで来ると、一滴も飲めません。
ページをめくるみたいに、あとは下戸になってしまいます。
体に安全弁があるようで、あとは受け付けません。
アトは赤ん坊のようにすやすやと眠るだけです。
親父のように歌こそ歌いませんが、ぼくなりにいい酒だと思います。

日本酒とくに大吟醸を飲むようになったのは、二十年くらい前から
始めた句会からです。
酒はオカンしか飲まなかった。
こんなにおいしいオカンしないでもおいしいお酒はじめて。
その時の銘柄は忘れたけど、とてもおいしかった。
それから病み付きになった。「越乃寒梅」や「八海山」「太平山」
「上善如水」もこの句会で知りました。

(これは日本酒の広告ページに書いた文です)