わが師の恩
   寺田ヒロオさん
           

 ここ数年気の置けない漫画家仲間で、還暦
になった者を肴にしてノミ会を開いている.。
 赤いちゃんちゃんこを酒席で着てもらって
みんなから、「恰好ワルイ」「アトはボケ
老人を待つだけや」といろいろ仲間から、冷
やかされるのである。
 このちゃんちゃんこには、細長いりぼんが
付いていて、これまで還暦を迎えた者の名前
がきざんである。
 高校野球の優勝旗のように、このちゃんち
ゃんこは持ち回りなのだ。
 ついこの間も、Sさんが赤いちゃんちゃん
こを着て、肴になった。
 つぎの還暦適齢者は、四年後で、しかもぼ
くを含めて三人もいる。
 一つのちゃんちゃんこをどうやって三人で
着るか、今からモメている。
 こうやって、いつまでも和気あいあいとし
ていられるのは、上下関係や師弟関係がない
からだろう。

 ところでぼくにはひそかに「漫画の恩師」
と思っている人がいる。
 その人は寺田ヒロオさん。昭和三十五年頃
から十年ほどの間、少年雑誌に活躍された漫
画家だ。
 代表作に「スポーツマン金太郎」「背番号
0」「白黒物語」などがあるが、良質の児童
漫画の代表格だった。
 例の「トキワ荘」で活躍された中心的な漫
画家である。
 ぼくは高校生の時から、「漫画少年」にせ
っせと投稿していた。寺田さんはこの雑誌の
「漫画つうしんぼ」という投書欄の選者をさ
れていた。
 一度も採用されたことはなかったが、ぼく
は個人的に寺田さんに作品を送り、選評をし
ていただいた。
 上京すべきかどうか迷っていた時も、直接
茅ヶ崎の自宅へいって助言を乞うた。
「あなたはとても絵がうまい。才能もあるか
ら、ぜひ東京へ出ていらっやい」というお言
葉をいただいて決心がついたのだ。
 はじめぼくは児童漫画家(いまはこんな呼
び方しないけど、ぼくには思い込みがあるの
であえて使わせていただく)を志していたが
いつのまにやら、大人のナンセンス漫画家
になってしまった。
 寺田さんの晩年は良質な少年漫画を捨てき
れないで、寂しく亡くなられてしまった。
 寺田さんと寝食を共にしたトキワ荘の仲間
たちは、清濁をうまく乗り切って、売れっ子
になって現在に至っている。
98年1月「小説新潮」