もと譜めくり美女の
演奏会
3月17日夜、春嵐の吹く中、東京・紀尾井ホールへでかけた。お目当ては水谷川(みやがわ)優子という人のチェロ・リサイタルだ。
  実は彼女とはちょっとした縁があった。
 いまから15年前、東京文化会館小ホールで、当時桐朋学園の学生だった彼女の演奏会をぼくは見た!のだ。
 その日のオーフラ・ハーノイのチェロ・リサイタルで彼女はピアノの伴奏の譜めくり役として出演したのだ。
 譜めくりは、主役の演奏者とともに晴れがましいステージに上がることが許される、唯一の裏方なのだ。
 だから、譜めくり嬢たちもそこは心得ていて、なるべく演奏家のじゃまにならないように、また観客から目障りにならないようにピアノの奥にそっと置物のように鎮座するのがフツウだ。
 ところがその日の裏方嬢はちがった。
 なぜかやけに譜めくり嬢に目がいった。演奏がつまんなかったのか、譜めくり嬢が美人過ぎたのか、記憶は定かでないが、とにかく彼女の真っ白のワンピースから伸びてくる白い手が光を放っていたのだ。
 このへんの事情は当時連載していた週刊朝日のコラム「コテン音楽帳」に書いた。
(コラムはこちらから)
 
 その譜めくり美女だった当の水谷川さんから、先日とつぜん招待状が送られてきたのだ。
「ちゃんとした私のコンサートがあるときは、かならず聴きにいきますというお言葉を以前いただいておりましたので、失礼かと存じますが、ここにご招待させていただきます」というていねいな添え書きがあった。
 ということは、ぼくは水谷川さんとすでにお会いしていたのだろうか。記憶にない(さいきんボケてきたからなあ)。
 それしても、「私のコンサート」ってまさか譜めくりコンサートでは? 
 同封のチラシをみてチェロ・リサイタルだということが分かった。彼女はチェロを志していたのだ。
 チラシの紹介文を読んで驚いた。
 「祖父は日本の交響楽団の祖・近衛秀麿。6歳よりチェロをはじめる。桐朋学園女子高等学校音楽家卒業後、 オーストリア・ザルツブルクのモーツァルテウム音楽大学に入学、 このころからヨーロッパ各地で演奏活動。 ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミーを経て、イタリア・カラブリア芸術祭コンクール、 チェロ部門1位。 ピネローロ国際室内楽コンクール2位、ほか多数のコンクールで受賞。 海外活動がメインだったが、1995年より日本での公演も行うようになった。」
 ういういしいもと譜めくり美女はすでにチェリストとして、世界の一線で活躍していたのだ。
(ああ、不勉強だった!)

  ぼくはいつも思うのだが、女性奏者がチェロを持ってステージにあがるとき、なぜか楽器が主人を引き連れてくるような錯覚にとらわれた。
 それほどチェロという楽器のデカサが目立ってしかたがなかった。
 しかし水谷川さんはそうではなかった。バイオリンのように軽々と持って出てきた。
  彼女とチェロの主従関係がウムをいわさないほど堅固なもののように思われた。
 風貌も美女に磨きがかかり! 華のある存在感がひしひし伝わってきたのだ。これは大事なことだ。
 最初にベートーヴェンの「 モーツァルトの魔笛の主題による変奏曲」がはじまった。
 なぜかとても色っぽい音色がした。
 グジエネ-クというはじめて聞く作曲家の「無伴奏チェロ組曲」がつぎに演奏された。
 ぼくには初モノで、しかも12音技法で作曲されたということだから、頭髪が薄くなったオジンには冗長でシンドかった。(これはあくまで作品のこと)
 ベートーヴェンの「チェロ・ソナタ」第3番はすばらしかった。ピアノのアルバート・ロトが躍動的でヨカッタ。もちろんチェロもヨカッタ。
 圧巻は後半に弾かれた、ショスタコーヴィチの「チェロ・ソナタ」だ。相変わらずの諧謔的なショスタコ節だが、ピアノとの丁々発止がたまらない。
 とくに終楽章、16分音符のピアノの高音域がトッカータで舞い降りてきて、それに向かい打つ、チェロのロンド主題。胸ががじんじんしてくる。
 アンコールに祖父、近衛秀麿の「ちんちんちどり」が弾かれた。極上のデザートをいただいたようななんともいえない幸せな気分にさせられた。
かえりホールを出て、相変わらずの春嵐が吹いていたが背中を押してくれる風が心地よかった。
(そおそお、忘れるところだっだ。この日の譜めくり姐さまも美女だった)

(3月17日、紀尾井ホール)