ぶつぶつ

 カニムは唇をつきだして、プツブツ不平をいいました。いうまいと思う先から、つい、ブ
ツプツいってしまうのでした。
「いつもこうなんだ、さんざん考えた挙句にやったことなのに、結果がこのていたらくだ。
ブツブツ。ほとほと生きるのがいやになったぜ」
 カニムは自分の顔色よりも、百倍も陰気な灰色の空を見1げながら、プツプツいいました。
今しがた、大空を楽しそうに飛遊していたトビが、カニムの灰色の視線に触れて、急に生き
る勇気が失せ、飛ぶのを止めて、地上に落下していきました。

「わたしほどわるい星の下に生まれた女は、ほかにいないワ。ぶつぶつ」
 イナイは唇を尖らして、ぶつぶつ不平をいいながら、歩いてきました。

「わたしの何がいけないというのよ、みんなのためを思ってやったことなのに、いつも裏目
に出てしまう。ぶつぶつ。こんなことなら死んだほうがましだわ」
 イナイの顔から、みるみる血の気が引き、かわりに青い血がどんどん顔にのぼってきまし
た。

「向こうから、ヤケに顔色のわるい女がくるな。すれちがいたくない女だな。ブツブツ」
「向こうから、陰気くさい顔をした男がやってくるわ。これ以上わたしの気持ちを滅入らせ
てほしくないわ。ぶつぶつ」
「チェッ、まったくなんて女だ。能面みたいな顔して、髪もバサバサ。それに、なんだあの
眉間のシワは。まるで、世界中の女の陰気を一人で背負ってるみたいだぜ。一番かかわりあ
いたくないタイブの女だ。ブツプツ」
「よりによって、どうしてこんな道を歩いてきたのかしら。どこかにシェルターがないかし
ら。ぶつぶつ」
 ちょうどカニムとイナイが出会う辺りに、コーヒーショップがありました。イナイは逃げ
るようにして、店の中に飛び込んでいきました。
 カニムは、今のうちに通り過ぎようと思い、歩行を早めました。しかし、ブルーマウンテ
ソの香りが糸状になって、カニムの鼻腔の、一番感じやすい二十五番日の細胞を刺激するの
でした。
 カニムは、女が入っていったのと別の入り口から入っていきました。店内はあいにく満員
でした。テーブルが勝手きままな方向に並び、客たちもごちゃごちゃとひしめきあっていま
した。
「どうしておれはこうもツイてないんだろう。プツプツ」
「相席でよろしければ、どうぞ」店の主人がブラシド・ドミンゴのようなテナーで、いいま
した。
 ドミンゴはクロールで抜き手をきって、人の波を泳いでいきました。カニムは泳ぎはあま
り得意でありませんでしたが、それでも必死になって平泳ぎでドミンゴのあとを追いかけま
した。
「よろしいでしょうか、マダン」というドミソゴの声が、泳いでいるカニムの耳に伝わって
きました。
「よかった、あなた、幸運ですよ。美しいご婦人と一緒に腰かけられますよ」
 相席の相手の女性をみて、カニムの顔からたちまち血の気がひきました。相席のイナイも、
負けずに血が五千七百∝ほど引きました。
 テーブルの赤いばらも、みるみるしおれていきました。ざわめいていた店内も、いつしか
静まり、お通夜みたいになりました。

  カニムとイナイは陰気な運命の仲介で、結婚しました。
「まずいのはイナイの顔だけかと思っていたが、メシもまずい。結婚するんじゃなかった。
おれとしたことが一生の不覚だった。プツプツ」
「何よ、万年ヒラのくせして。あんたのもらってくるはした給料で何を作れというのよ。ぶ
つぶつ」
 二人のハネムーンは、陰気を極めました。昼間の太陽でさえ、彼らの家の中を明るくする
ことができませんでした。日差しがいくら居間に入っても、暗闇に包みこまれて萎縮してし
まいました。
 夜は夜で、いくら電球がまたたいても、部屋の中が明るくなりませんでした。カニムとイ
ナイ夫婦のにらみあう目だけが、闇の中の、唯一の光源でした。
 庭の大きなもみの木が枯れました。隣家のセントバーナードが灰色の空を空げながら、
原因不明の食欲不振におちいり、そのまま衰弱死しました。
向かいの家の老婆が物干し台から飛び降り自殺しました。
 天侯も晴れた日がありませんでした。いつも、胃がもたれたようなどんよりした空気が、
町中にたちこめました。

 ある日の昼、この夫婦の家に、ドロポーが入りました。家の中が真っ暗だったのでてっき
り留守だと思ったのでした。ところがそのとき、夫婦はセックスの最中でした。ドロポーは
暗闇だったので、それに気がつかず、布団の上から、二人の肉体をふんづけたのでした。
「だれだ」
「ドロボーよ」
 ドロボーはカニムの太い腕に首を締めあげられ、あっけなく、警察へ突き出されてしまい
ました。
「あなたがたは、大変なおてがらをたてました。あの男は札付きのワルで前科百犯。これは、
謝礼です。これで、どこかへ旅行するといい」警察署長がいいました。
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