フィッシャー=デイースカウ&ひばり

  声帯にも名器というものがあるとすれば、フイツシャー=ディースカウの咽喉は、 ストラデイヴアリウス級の逸品にちがいない。
彼は名器を駆使して、二オクターヴ半のレンジを滑走する。楽器が生身だけに、 聴く者は極度の緊張と疲労感を負わされる。
ツラツラ考えるに、彼の歌唱には十六世紀以前の怨念が秘められているのではないか。 どういうことかというと、十六世紀までは、 音楽といえば九割が声楽であった。それがバロック時代に入ると、 器楽と声楽が半々になり力関係も同等になった。
ところが、ハイドンやべートーヴエンのような器楽作曲家の出現によって 、情勢は急変、器楽側が声楽側を完全に凌駕してしまった。
ドイツ・リートに限っていえば、シューベルトやヴオルフ、 R・シュトラウスといった歌曲の腕達者が、あまたの傑作を残したにもかかわらず、 声帯楽器奏者(=歌手)たちは、オペラになびいた。
そこへ第二次大戦後のドイツの廃墟からコツゼンと現われたのが、 このフィッシャー=ディースカウというわけだ。
彼の神がかった絶妙さ (たとえばヴオルフの「メリケの詩による歌曲集」)  の前に、われわれは芸術を味わうにしては多大なエネルギーの消耗を強いられる。 彼の歌はわれわれに安らぎを与えない。巨人の威嚇と怨念の前にわれわれはすくむだけである。

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